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食べ物を作るということ。

食べ物を作るということについて、2012/2/24にうpされた記事「Disturbing Headless Chicken Solution Aims to Raise Poultry Birds Without Suffering」と、その4日後の2/28にうpされた記事「食卓に並ぶ食べ物はどうやって作られているのだろう? green drinks 房総「いのちを感じる屠殺ワークショップ」レポート #gdBOSO [ #gdJ]」が興味深かったので、紹介したい。ともに、鶏/鶏肉に関する内容である。


前者は日本語ではないため、簡単に説明したい。

記事によると、鶏肉を大量に生産する農家に向けた、鶏の新しい飼育方法が発表された。鶏の身体には心電図を測るための電極パッドが取り付けられ、くちばしとお尻にはチューブが繋げられる。そして、もはや羽毛すらない鶏は両足を互いに固定され、体の形に添って作られた装置によって天井から吊り下げられる(画像は模型)。建築を学ぶアンドレ・フォードさんが提案するこの飼育方法では、固定した装置で鶏を水平に繋いで飼育ができるため、従来と同じ広さで4倍の量が生産できるそうだ。

では、どうして生きた鶏が、そんな状態でおとなしくしていられるのだろうか。実はこの飼育方法は、鶏を固定するだけではないのである。鶏は外科手術で大脳皮質が切り取られ、植物状態にされる。くちばしに繋がれたチューブから栄養や水分を送り、お尻に繋がれたチューブで排泄物の処理を行う。そうすることによって、鶏に苦しみを与えることなく、狭いスペースでも効率良く鶏肉を大量生産できるのだという。


後者は日本語なので、普通に読んでもらいたい。





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リアリティの欠如とエリート主義――「〈橋下なもの〉に感じる違和感」への違和感(7)最終回

最後に、ちょっと橋下批判をしてみた。

(1)橋下徹の「価値中立」的な態度

橋下徹さんは、「透明なシステム」「決定できる民主主義」「最後は住民自身が責任を持って決定する」などと述べ、政治におけるルール作りに取り組むことを強調している。つまり、「社会を自分たちの作ったルール通りにきちんと動くように変えよう」としているのである。そして、「目指すべき価値観は住民によって決定される」「イデオロギーは最後の問題になる」などと述べ、これこそが「新しい政治のスタイル」なのだと主張している。すなわち、橋下さんは「価値中立」を謳っているのである。

そんな橋下さんの「価値中立」的な態度に対し、反橋下派の一部は「ホントは違うんじゃね?」と感じて批判している。しかしその際、彼を「改憲論者」「核武装論者」だと批判しても、それは糠に釘だろう。

ここで有用となるのは、「君が代問題」である。君が代については、様々な価値観を持った人が存在する。思想・信条の自由を重視するならば、そうした多様な価値観は認められるべきだ。翻って、橋下さんの唱える「新しい政治のスタイル」では、価値観は住民によって決定される。イデオロギーの問題は、システムを住民自身の決定によって変えていった最後に出てくるという話である。つまり「君が代問題」は、本来的に「最後の問題」とならなければならないはずなのだ。にもかかわらず、君が代に関して「既にルールがあるのだから、それを守らない奴はダメポ」だとする橋下さんの主張は、自身のそれと矛盾するところがあるとは言えないだろうか。




(2)「左翼だから」

そもそも橋下さんは、「人間・橋下徹」としてはある種のイデオロギーを持っているが、「政治家・橋下徹」としてはあくまでも「価値中立!」であるという趣旨のことを明言している。そんな相手に、様々な根拠を並べ立てて批判を展開したところで、それは「価値中立(キリッ」というマジックワードによって、あたかもドラえもんのひらりマントのごとくスルリとかわされてしまう。

こういった際に有効なのは、上記のような自身も「価値中立」を装うか、あるいは、逆に自らの立場を明確にするか、という戦略である。以下は、ニコニコ生放送における大塚英志さんと宮台真司さんの対談の一場面である。


●ニコニコ生放送「ニコ生トークセッション」(2012/1/30放送分「愚民社会」)より

宮台真司
――かなりの人たちが橋下現象に期待をしてるのね。それはどういうことかと言うと、橋下さんがポジティブな存在だということよりも、橋下を批判している人たち、あるいは「従来橋下的ではなかった議会や地域の首長たちは一体何をやってきたんだ」という深い失望があって。簡単に言えば、「こちらはクソだ」って分かっている。でも、橋下は未規定だと。もしかしたら大クソかも知れないけど、クソだって分かっているものを選ぶよりは未規定のものを選んだ方が良いと思っているわけですよ。

大塚英志
――そのギャンブルは怖いですねぇ。

宮台真司
――はい(笑)。

大塚英志
――僕は左翼だから、君が代とか日の丸を強制するっていう段階で、もう嫌だもの(笑)。



大塚さんは、身も蓋もなく「左翼だから君が代の強制は嫌だ(笑)」と述べている。こうした態度は、「君が代の強制は普遍的に誤りである」「君が代の強制に反対することは絶対的に正しい」といった感じの主張とは一線を画しており、非常に誠意のあるものであり、その点において説得力のある主張だと言えるだろう。




(3)政治の世界

橋下さんの武器の1つに、巧みな交渉術がある。では、橋下さんの交渉術とは一体どのようなものだろうか。以下に列挙してみた。

  ・「譲歩の演出によって、相手に仮装の利益を与える」
  ・「一度OKしたことを撤回する」
  ・「あり得ない比喩表現やたとえ話で、論点をすり替える」
  ・「相手にレッテルを貼り、それを批判する」
  ・「不毛な議論をふっかける」


橋下さんは『図説・心理戦で絶対負けない交渉術』において、上記の一部の交渉術について解説をしているので、それを見てみたいと思う。

●「譲歩の演出によって、相手に仮装の利益を与える」――6~12ページより

交渉において相手を思い通りに動かし、説得していくには、はっきり言って三通りの方法しかない。 “合法的に脅す”“利益を与える”“ひたすらお願いする”の三つだ。そのなかで、最も有効なのは“利益を与える”ことである。 この場合の利益には二通りある。一つは文字通り相手方の利益。もう一つは、実際には存在しないレトリックによる利益だ。不利益の回避によって感じさせる“実在しない利益”とも言える。

相手方に利益を与えるということはこちらの譲歩を示すということだ。譲歩とそれに伴う苦労は、徹底的に強調し、演出すべきだ。譲歩とはよべない些細なことであっても、さも大きな譲歩であるように仕立て上げるのである。そうすることで、相手方の得る利益が大きいものであると錯覚させることができるからだ。

物々交換の基本にのっとって、自分の主張を絞り込んでいく。どうしても通したい主張と、譲歩できる主張を明確に区別する必要がある。できることならこの主張も通したい、交渉の流れのなかで判断しよう、そんなグレーゾーンを持ったままで交渉に臨むことだけは避けたい。それが交渉をこじらせ、長期化させる原因にもなるのだ。


●「一度OKしたことを撤回する」――32~34ページより

交渉において非常に重要なのが、こちらが一度はオーケーした内容を、ノーとひっくり返していく過程ではないだろうか。まさに、詭弁を弄してでも黒いものを白いと言わせる技術である。“ずるいやり方”とお思いになるかもしれないが、実際の交渉現場ではかなりの威力を発揮するのだ……一度なされた約束ごとを覆す方法論は、交渉の流れを優位に運ぶ重要なものだと考えている。

具体的には自分の言ったことに前提条件を無理やり付けるのである……前提条件は、相手がその時点で満たしていないもの、満たしようがないものをわざとつくる。いわば仮装の条件である。満たされないような条件をわざと付け、今、満たされていないのだから、一応オーケーしたことでもこちらは約束を果たせないという論法で逃げる……前提条件を無理やりつくるという他に、オーケーした意味内容を狭めるという方法もある。



このような交渉術を操る橋下さんを反橋下派の一部は批判しているが、そうした批判は的外れなものであろう。なぜなら、橋下さんの立っているところは政治の世界であって、学問の世界ではないからだ。彼の交渉術を批判する暇があれば、その交渉術の体得に努めた方がいいのかも知れない。

私は、いいとか悪いとか、好きとか嫌いとかとは関係なく、反橋下派は、橋下さんと同じ土俵――政治の論理・政治のルールに則って勝負するしかないのだと思う。しかし、そこは血なまぐさくて身も蓋もない世界である。知的誠実さだけでは、学問的にしか勝利できない。本気で政治的に橋下さんに勝利したければ、もっとディベート技術や狡猾さを身に付けなければならないのではないだろうか。


『最後に思わずYESと言わせる最強の交渉術』  『図説・心理戦で絶対負けない交渉術』




【参考】大塚英志の嫌み

●ニコニコ生放送「ニコ生トークセッション」(2012/1/30放送分「愚民社会」)より

大塚英志
――だって、大阪の人がいいって言うんだから、いいわけでしょ。そんで、東京の人が「橋下と石原(東京都知事)がくっついていい」って言うんだったら、それでいいじゃん。ほっとけばもう。神戸と行ったり来たりしてるんで、たまに大阪で降りて、難波の「自由軒」とかでカレーを食ったりするんですけども。そうするとやっぱり、「地元のおばちゃんたちは橋下好きなんだなぁ」ってしみじみ感じるんですよ。テレビ見ながら石原新党とかニュースでやってると、「ほら石原さんまで橋下さんに擦り寄ってきたわ」とか嬉しそうに言って。その悪気のなさを見たときに、何かもう言う気もなくなっちゃってね。

1つ、橋下市長をめぐって面白かったなと思ったのは、選挙の時に『新潮』がすごいネガティブ・キャンペーンをやりましたよね。「やれ橋下氏」と。それから「親族にヤクザがいる」とか、あるいは「被差別部落のエリアで彼が育った」とかね。そういったネガティブ・キャンペーンをやって。これ、『新潮』の得意技ですよね。こういうネガティブ・キャンペーンを持っていくと、だいたいそこで、それこそ「愚民」だの「土人」でもなんでもいいんだけども、やっぱそこであっさり先導(煽動?)されてきたわけじゃないですか。『新潮』は、やっぱりそういうふうに大衆を先導することに関してもお家芸だったわけだけども、その『新潮』が先導できなくなって、逆に反撃くらったみたいなね。そこで、僕はすごく他人事のように面白かったですね。『新潮』が先導してきた人が、もう先導しきれないんだ。それがネットの世論じゃなくて、大阪のおばちゃんたちをもう先導できないんだと思うと、そこがすごく面白かった。

(中略)

ただ、「愚民社会」の趣旨に引きつけて言えば、橋下市長が200人だか400人だか、広報と言うのか分からないけども、その人たちの質が問題になっていくわけでしょう? 結局、それこそ「愚民」が立つわけで。「それでいいわけ?」っていうとこだけは、嫌みとして言っておきたいと思うわけです。



(リアリティの欠如とエリート主義――「〈橋下なもの〉に感じる違和感」への違和感、おわり)






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高校生でも分かる! ばたおの「現代政治学」案内(1)

政治学とは何か――『政治学』(大嶽秀夫・鴨武彦・曽根泰教、有斐閣Sシリーズ)より

●ディシプリンとしての政治学

学問というものは、専門ごとに通常1つの体系をなしている。それは、別の言葉でいうと、学問を習得する方法、勉強する方法が確立しているということであって、簡単なことから、だんだん難しいことへと進んでいく習得の方法があるということである。だから、プロとアマとの違いが明確で、ここまでやった人はまだアマチュアで、ここまで行った人はプロフェッショナルであるという区別というものがある……では、政治学はどうだろう。政治学は1つのディシプリンとして、体系をなしているのだろうか。




※ディシプリンとは……?
discipline。専門的な知的訓練という意味を含む学問領域のこと。言葉の響きがなんとなくカッコいいので口に出したくなるものの、一知半解で多用していると後で恥ずかしい目に遭うかも知れないので、それには注意しなくてはならないだろう。残念ながらプリンとはあまり関係がない。




かつての政治学は、1つの体系をなしていたし、教育の手順もはっきりしていた。その時代には、まず「政治思想史」を学ぶことで、例えば民主主義の理念と制度を学習した。そして、「政治史」の勉強を通じて、こうした理念が生まれ、現実の歴史の中で実現してきた過程を学習した。その上に、国民主権の概念の前提となる主権論や権力論が「政治学原論」として教えられた。また他方で、統治の学として、行政学がこれを補完した。そして、全体して憲法学との強い連続性を持ち、憲法学の原理論的な意義を持っていた。すなわち、伝統的政治学は、1つのディシプリンとして成立していたのである。

ところが、大衆社会の成立と、心理学や文化人類学などの発展といった要素が背景となり、1950年代に政治学は急速な変化を遂げた。この急激な変化は「行動論革命」あるいは「行動主義革命」と呼ばれ、政治学はかつての体系を崩すことになる。また、官僚制研究や伝統的な行政学の分野では、社会学や経営学における一般組織論が導入された結果、そうした社会学や経営学との境界が著しく曖昧になった。さらに、1970年代にはゲーム理論などが登場し、経済学的・数理的な議論が政治学において台頭した。



●政治学の現状

こういう背景から、政治学とは何かということを、改めて考え直してみる必要がある。つまり、通常の意味での1つのディシプリンとして政治学をとらえるのではなく、別の角度から政治学をとらえる必要が生じてきた……1つの政治現象に、さまざまなディシプリンから接近し、分析することで、現在の政治学が成り立っているのである。


ただし、政治学に固有のアプローチというものもある。すなわち、政治現象に密着した叙述的な研究である。これは2つのレベルで存在する。1つは比較政治制度論(政治体制の制度論的な議論)であり、もう1つは、官僚・政党・圧力団体(利益集団)や政策決定過程についての記述的分析である。

政治学は、それを学ぼうとする学生や若手研究者にとっては、学問の全体像をつかむことが、きわめて困難で、その急速な変化を追うことも難しい学問でもある。しかし、反面では、比較的容易に第一線の研究に追い付くことができるため、若者の挑戦が容易な学問でもあり、それが1つの魅力でもあるといえよう。



(つづく)





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社会学としてのライトノベル論(10)

ライトノベルはポストモダンの条件を体現している

ライトノベルの本質は、物語にではなく、「脱物語的・メタ物語的なキャラクター」という想像力にあることが分かった。すなわちライトノベルの作家や読者は、物語を構築する、あるいは読解するために、作家のオリジナリティや物語のリアリティにではなく、「キャラクターというメタ物語的な行動様式の束」を参照しているということだ。こうした特徴は、ライトノベルが、本質的にポストモダン的な小説形式であることを意味している。



「ポストモダン」とは何か。それは、具体的には「大きな物語の衰退」のことである。簡単に説明すると、社会の構成員に対する特定の価値観やイデオロギーへの共有化圧力の低下、すなわち、メタ物語的な合意の消滅を指摘する議論である。

オタクたちが作り上げてきた「様々なキャラクターの類型=行動様式の束」というのは、決定的なひとつの物語を成立させないにもかかわらず(キャラクターが物語を逸脱する)、複数の非主流的な物語を次々と成立させてしまう(ひとりのキャラクターから複数の物語が生成される)。そうした点が、まさにポストモダンの物語制作の条件を体現していると言える。

また、ライトノベルの出現と拡散を「ポストモダン」という観点から捉えることは、時期的にも妥当なものだと考えられる。なぜなら、ライトノベルの起源は、(1)で指摘したようにポストモダンが始まった1970年代であり、その拡大が始まったのは、ちょうど日本でポストモダン化が加速した1990年代であるからだ。



すなわちライトノベルとは、ポストモダンの到来が誕生させた、「ポストモダンの条件を体現する小説形式」なのである。従って、ライトノベルについて考えることは、“ポストモダンという現実”について考えることに繋がっている。


(つづく)





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ワタミがブラック過ぎてワラエナイ/(^o^)\

ワタミフードサービスが経営する居酒屋「和民」の神奈川県横須賀市にある店に勤め、入社2ヵ月で自殺した女性社員(当時26歳)について、神奈川労働者災害補償保険審査官が労災の適用を認める決定をしていたことが分かった。


●2012/2/21  共同通信「ワタミ社員の過労自殺を認定 入社2ヵ月の26歳女性」

居酒屋チェーンのワタミフードサービス(東京)社員だった森美菜さん=当時(26)=が入社2ヵ月後に自殺したのは「長時間労働による精神障害が原因」として、神奈川労働者災害補償保険審査官は21日までに、遺族の労災申請を不支給とした横須賀労働基準監督署の決定を取り消し、労災と認定した。遺族側の弁護士が同日発表した。

決定書は「時間外労働は月約140時間以上で休日を十分取得できる状況ではなかった。業務の負荷が主因で適応障害を発病し、自殺を思いとどまる力が著しく阻害されていたと推定できる」とした。決定は14日付。



●2012/2/21  読売新聞「ワタミ社員の自殺、労災認定 入社2ヵ月の女性」

居酒屋「和民」を展開するワタミフードサービス(本社・東京都大田区)の女性社員(当時26歳)が2008年に自殺したことについて、神奈川労働者災害補償保険審査官は「(自殺は)業務による心理的負荷が原因」として、遺族の労災申請を認めなかった09年7月の横須賀労働基準監督署の処分を取り消し、労災と認める決定をした。決定は14日付。

決定書によると、女性社員は08年4月に入社し、神奈川県横須賀市の店に配属されて調理を担当。最長で連続7日間の深夜勤務を含む長時間労働や、休日に行われるボランティア研修に参加するうちに精神障害となり、入社から約2ヵ月後の同年6月、自宅近くのマンションで飛び降り自殺した、とした。4~6月の時間外労働時間は計約227時間だった。




    過労自殺した森美菜さんのメモ



こうした報道を受けて、創業者で現会長の渡邉美樹さんはツイッターで以下のような発言をした。

労災認定の件、大変残念です。四年前のこと 昨日のことのように覚えています。彼女の精神的、肉体的負担を仲間皆で減らそうとしていました。労務管理できていなかったとの認識は、ありません。ただ、彼女の死に対しては、限りなく残念に思っています。会社の存在目的の第一は、社員の幸せだからです

渡邉さんは以前にも、ツイッターで「ワタミは天地神妙(注:恐らく天地神明の間違いだと思われる)に誓ってブラック企業ではありません」と発言している(2011/6/15)。今回は「社員の幸せが第一」と言いつつも、実際に労災認定されているにもかかわらず、「労務管理できていなかったとの認識はない」と述べた。



そんな中、ワタミから以下のようなプレスリリースが出された。

本日、一部報道におきまして当社グループが運営する店舗に勤務していた元社員につき労災と認定されたとの報道がありましたが、報道されている勤務状況について当社の認識と異なっておりますので、今回の決定は遺憾であります。

「一部報道におきまして……との報道がありましたが、報道されている勤務状況について」って、文章力が低過ぎてワラエナイ/(^o^)\。それはともかく、「当社の認識と異なる」と述べられているものの、その具体的な根拠は示されなかった。


   本日の一部報道について    本日の一部報道について・添削





ちなみに、渡邉さんは過去に、テレビ番組『カンブリア宮殿』において「無理を続ければ、それは最終的に無理ではなくなる。そうすることで、結果的に成長できる」といった趣旨の発言している(当時は社長)。

●『カンブリア宮殿』(2006/5/22放送分「夢を実現するための行動力」)より

渡邉美樹
「『無理』というのはですね、嘘吐きの言葉なんです。途中で止めてしまうから無理になるんですよ」

村上龍
「?」

渡邉美樹
「途中で止めるから無理になるんです。途中で止めなければ無理じゃなくなります」

村上龍
「いやいやいや、順序としては、『無理』だから途中で止めてしまうんですよね?」

渡邉美樹
「いえ、『途中で止めてしまう』から無理になるんです」

村上龍
「?」

渡邉美樹
「止めさせないんです。鼻血を出そうが打っ倒れようが、とにかく1週間全力でやらせる」

村上龍
「1週間……」

渡邉美樹
「そうすれば、その人はもう無理とは口が裂けても言えないでしょう」

村上龍
「……んん??」

渡邉美樹
「無理じゃなかったってことです。実際に1週間もやったのだから。『無理』という言葉は嘘だった」

村上龍
「いや、1週間やったんじゃなく、やらせたってことでしょ。鼻血が出ても倒れても」

渡邉美樹
「しかし現実としてやったのですから、無理じゃなかった。その後はもう『無理』なんて言葉は言わせません」

村上龍
「それこそ僕には無理だなぁ」


他には、ビジネス総合誌『プレジデント』(2010/9/13号)のインタビューにおいて、「たとえばビルの8階とか9階とかで会議をしているとき、『いますぐ、ここから飛び降りろ!』と平気で言います」という具合に社員を叱ることもあると発言している(自殺した女性社員は、この教えを実践したとも考えられる)。また、東京都知事選に出馬した際には、自らのブログにて「自殺ゼロの社会」を訴えている(2012/1/20)。




◆私たちにできる選択
  A:渡邉美樹さんに都知事になってもらい、過労自殺をなくすことに努めてもらう。
  B:頑張って無理を続けて、結果的に成長する。  
  C:容赦なく定時で出退勤する。
  D:労働組合をつくって団体交渉し、労働条件を改善させる。
  E:退社する。






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そして誰もいなくなった

2012/1/26にうpされた記事「真冬の公園にDSする小学生がたむろしている理由」が興味深かったので、紹介したい。


      Orz



●大声禁止・ボール禁止、遊具も撤去

公園でDSだと?と眉をひそめる向きも大人たちには多かろう。筆者も長子が赤ちゃんの頃、散歩の途中で公園の滑り台に集結する小学生が、一心不乱に携帯ゲームをしているのを見て「世も末だなー」と思ったことがある。

だが、世も末なのは子ども自身のせいじゃない。なぜならその児童公園は、今や「大声を上げること禁止、ボール禁止、ラケットもバットも禁止、飛ぶもの全部禁止、車輪禁止、もちろん自転車も禁止」なのだから。

野球もサッカーもドッヂボールもフリスビーも一輪車もローラースケートもバトミントンすらできない公園で、白熱したケイドロもが許されない公園で、小学生男子たちはひっそりと、興奮した声も上げずにDSに興じているのであった。家で一人で遊ぶより、それでも仲間と一緒が楽しいのだろう。

そもそも、昨今の児童公園からは次々に遊具が消えているのに諸賢はお気づきだろうか。まず筆者が子どもの頃には普通どこにでもあった「回旋」する遊具が今、児童公園からほとんど撤去されている。



●“居る”のも禁止

先述した子どもに対する各種禁止事項に加え、犬の散歩禁止、楽器の練習禁止、朝のラジオ体操と太極拳禁止……と、「どこかの誰か」の権益?を脅かしたことに対する禁止事項は、大人の余暇にまでも遠慮なく牙を剥いていく。

「くさい」「うるさい」「あぶない」。そのいずれでもない無害なDS小学生にすら、「みぐるしい」という声が寄せられたと先日耳にした母たちは、「どうせいっちゅうねん!」と怒り心頭に達し、道ばたで吠えたものだ。公園という場所では、人は何もしてはいけない。というか、居てもいけない。「空間」のみあるべし。




当該記事は、「そして、公園には誰もいなくなるのだろう。きっと……」という文言で締められている。もはや、星新一さんや筒井康隆さんの描くショートショートである\(^o^)/



    日本以外全部沈没





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東日本大震災から11ヵ月・写真で見る当時と今

※「デイリーメール・オンライン」(イギリス)より、抄訳および写真抜粋

昨年3月、日本は大地震とそれに伴う大津波に襲われた。震災により荒廃しきった数々の映像に世界は震撼した。それから11ヵ月、大惨事以来の復興に向けたたゆまない活動は、写真で見る通り素晴らしい進展を見せている。最も深刻な被害を受けた地域がどのように変わったかを撮影するために、カメラマンは再び現地を訪れた(写真:上が当時、下が今)。


  ▼世界に配信された毛布の女性・スギモトさん(上)は今、同じ地に息子とともに立っている(下)
  スギモト ユウコさんとライト君


写真の1枚、スギモト ユウコさんはきれいに片付けられた石巻市の幹線道路で、5歳になる息子のライト君とともに立っている。昨年、被災直後の混沌とする中で、毛布に身を包んだ彼女の姿がカメラに撮られていた。瓦礫の山で、彼女は必死になって我が子を捜し出そうとしていた。1万9000人を超える人々の命が失われ、行方不明も数千人。瓦礫の中で人捜しを続ける多くの人々の姿があったが、彼女もその1人だった。


  ▼大船渡
  大船渡


  ▼気仙沼
  気仙沼


  ▼多賀城
  多賀城


  ▼南三陸
  南三陸


  ▼陸前高田
  陸前高田


  ▼南相馬
  南相馬


  ▼石巻
  石巻



◆参考:痛車にも容赦なし
 痛車





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南大阪センコー運輸整備株式会社

ノリはラテン系

南大阪センコー運輸整備株式会社でちょっと働いていたわけだが、
どうも給料が全額支払われていないような気がする。

「日給7500円 × 12日 = 計9万円」のはずが、
およそ8万7000円しか振り込まれていない……。

「およそ8万7000円」というのが、どういう計算で出されたものなのか、
その金額の根拠もよく分からない。



労働契約書もないし、給与明細書もないので、
電話して聞いてみるのが一番早いような気もするのだが。

まぁ、単純に私の勘違いの可能性もあるわけで。。。



……賃金の請求の消滅時効は2年だったと思うので(← 分かんなかったからテキトーに言った。高学歴じゃないから知らん。教えてエロイ人!)、とりあえず放っておくか\(^o^)/



   分かんなかったからテキトーに言った





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半農半活動への道(8)

穴にめっちゃ水溜まっててワロタ

本日は、雨の影響で耕地作りできず。

昨日掘った穴にめっちゃ水が溜まってた。。。

でも、夜にはほとんど引いた。明日になれば完全に引くだろう。



それにしても、この更地には虫一匹いない。まさに死の大地である。

家庭菜園……ホントにうまくいくのだろうか?



例によって、詳しくはhnhkさんの記事へ(定型文)

何やらいよかんの皮を切りまくって肥料作りをしていたようだが、
土もまだできていないのに、やや早くはないだろうか。





◆てるてる坊主テラコワスgkbr

  てるてる坊主


 ▼「それでも曇って泣いたなら、そなたの首をチョンと切るぞ」
 





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さよなら原発 3.11 関西1万人行動

2012/3/11(日)  大阪中之島公園一帯

 さよなら原発 3.11 関西1万人行動


【午前】特別企画
●「福島・福井の現実を知ろう!明日は我が身と考えて」
    *開場10:30、開演11:00~12:15、場所:中之島公会堂大ホール、参加費:500円
  ・「原発事故が奪ったもの」長谷川健一さん(飯舘村・酪農家、伊達市へ避難中)
  ・「原発銀座の若狭から」松下照幸さん(美浜町・森と暮らすどんぐり倶楽部代表)


【午後】集会とデモ
●公会堂大ホール
  A  開場13:00、開演13:15~13:45 → デモ:13:55出発
  B  開場14:00、開演14:15~14:45 → デモ:14:55出発
  *デモ――関電コース(裁判所・朝日新聞・関電北・西梅田)

●女神像前エリア
  ・前段  13:15~14:15
  ・集会  14:15~14:45
  ・デモ  14:55出発――御堂筋コース(淀屋橋・本町・心斎橋・難波)

●剣先公園エリア
  ・前段  13:15~14:15
  ・集会  14:15~14:45
  ・デモ  14:55出発――西梅田コース(天神橋・南森町・桜橋・西梅田)


  主催   さよなら原発 3.11 関西1万人行動実行委員会
  連絡先 ストップ・ザ・もんじゅ



2012/3/11(日)、大阪市で開催される上記の「さよなら原発 3.11 関西1万人行動」に参加します(「スタッフやってくれ」と声をかけてもらったのですが、今回はお断りさせてもらいました。申し訳ないです。一般参加します)。とりあえず午後の集会とデモには行く予定で、知り合いが「女神像前エリア → 御堂筋コース」に参加するということなので、私も一緒にそこに行こうと思っています。



●関連記事
 → “脱原発”に向けた議論(1)
 → “脱原発”に向けた議論(2)
 → デモの有用性――デモで社会は変わるのか?
 → デモについてのノート(追記・2012/3/8)
 → いかにして、“脱原発デモ”をメディアに報道させるか。(追記・2012/3/23)
 → さよなら原発 3.10 関西2万人行動(追記・2013/3/5)




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プロフィール

ばたお

Author:ばたお
・1983年大阪府生まれ。大阪府河内長野市在住
・半自給農民、工場非常勤。できるだけ稼がず、できるだけ消費しません。シェアハウス運営
・土と暮らし研究会

【ツイッター】@BATAO_Hetare
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