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「分かりやすさ」の陥穽――『おいしいコーヒーの真実』を批判する(6)最終回

正義感を1回疑い、社会を斜めに切り裂く必要性

かつて私は、当該ブログの記事「人間=98%動物説」において、「私たちは、社会の歯車から無縁ではいられない。私たちは、賃上げを訴えながらも安さを求め、100円ショップで買い物をせざるを得ないという矛盾した行動を取る。ナイーヴな正義感を持つことは時に重要であるが、やはりそれを疑う精神力と科学的な態度を持っていなければ、問題を認識することはできたとしても、問題の本質に近づくことはできない。何より、他の人を説得することができない」と述べた。


映画監督の阪本順治さんも、自身が監督を務めた映画『闇の子供たち』に関するインタビューで、以下のような発言をしている。

(私の)映画作りのスタンスは、社会を「斜めに切り裂く」こと……「倫理観とか道徳とか正義感を1回疑うんです。ニュースや政治家の発言の裏には何があるのかと」。今作では登場人物の苦悩を通し、「あなたの中に同じような闇はないですか」と問いかけました。より良い道を進むために、社会も自分も常に疑おうと。「裏を探して光を当てるのが映画の作業だと思うんです」(「しんぶん赤旗 日曜版」2008/7/27付より)。



阪本順治さんの言葉を援用するならば、『おいしいコーヒーの真実』を撮った監督およびその支援者たちは、「コーヒーの真実」の裏側に光を当てることができなかった。世界のコーヒー問題を<南>と<北>という言わば横に切り裂くことはできたが、残念なことに<南>と<北>のそれぞれの問題の深部には踏み込めず/踏み込まず、つまり、世界を斜めに切り裂くことができなかったのである。


『おいしいコーヒーの真実』は、断片的な事実を積み重ねることも重要だが、そうした自分自身のスタンスをも疑う冷徹さもまた必要なのだ、ということを示した映画でもあると思う。


(おわり)




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「分かりやすさ」の陥穽――『おいしいコーヒーの真実』を批判する(5)

『おいしいコーヒーの真実』批判③

(3)コーヒーの国際相場

3つ目として、問題の背景となっているコーヒーの国際相場自体が回復していることが挙げられる。つまり、当該映画で批判的に取り上げられたニューヨークのコーヒー相場は、1ポンド当たり、2002年の平均53.38セントから、2003年は61.90セント、2004年は76.02セント、2005年は107.27セント、2006年は107.70セント、2007年は117.28セントと上昇しているという事実である。他の物価も上昇しているのかも知れないが、少なくともこれは、コーヒー農家が受け取る収入もアップしている可能性が高いことを示していると言えるだろう。



※補遺
ちなみに私は、映画『おいしいコーヒーの真実』で主張されていることはデタラメなので、まったく観る価値はないのである、などと言っているわけではない。むしろ逆で、「ドキュメンタリーとはある種のイデオロギーを帯びているのだ」といった事実も含めて、当該映画および当該連載が南北問題や農業問題、あるいはフェアトレード(の諸問題)、ひいては「物事の見方や捉え方」について考える契機になったらいいなぁ、と思っている。



  最終回じゃないぞよ。もうちっとだけ続くんじゃ。


(つづく)




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「分かりやすさ」の陥穽――『おいしいコーヒーの真実』を批判する(4)

『おいしいコーヒーの真実』批判②

(2)コーヒー農家とは「コーヒー生豆の生産者」である

2つ目の問題点は、「コーヒーカップ輪切り図」という宣伝方法にある。つまり、コーヒー1杯に占める生産者の取り分(1~3%)、輸出業者・地元の貿易会社の取り分(7%)、カフェ・小売業者・輸入業者の取り分(90%)を比較するやり方である。これは、件のやまもといちろうさんも指摘していたところだ。要点をまとめると、以下のようになるだろう。


・コーヒー農家は、「コーヒー生豆の生産者」である。
・コーヒー農家は、輸入者ではない。つまり、在庫資産管理、年間保管、金利負担、物流管理などを行っているわけではなく、また、為替変動のリスクも負っていない。
・コーヒー農家は、コーヒー販売市場におけるマーケティングを行っていない。
・コーヒー農家は、商品開発や製造を担っていない。工場の運営経費や減価償却費は、販売者が負担している。
・コーヒー農家は、1杯の「コーヒー」の提供販売にかかわっていない。つまり、出店開業、店舗経営、メニュー開発、オペレーション提供などをしているわけではない。


つまり、コーヒー農家は「生豆」を輸出した時点で、その「取引」は終了しているということだ。「コーヒー農家の取り分が1~3%なのは不公平である」という表現が正当なものであるとするならば、コーヒー農家は最終カップ1杯の販売に至るまですべての「商品開発」「製造工程」「商物流」「販売行為」に直接参加していなければならない。


従って、「コーヒーカップ輪切り図」の作成者は、①コーヒーの商物流・貿易に無知であり、②コーヒー農家が「商品」のどの部分までを担っているのかを理解できておらず、③コーヒーの商品特性の変化(「生豆 → 焙煎豆 → パッケージ化 → 液体」と各段階でまったくの別物に変化する)にも無知である、ということが言えそうだ。もっとも、原産国で製造された商品形態が、例えばバナナのようにほぼ原型のまま輸出され、日本でもその商品形態のまま販売され、直接消費者がその品物を買う(手にする)場合には、「コーヒーカップ輪切り図」はまだ使えないこともないのかも知れない。




≪ バナナとコーヒーの商品特性の違い ≫

●バナナは、原産国から輸入され、そのまま商品として提供される。
 
●コーヒーは、以下の加工(=付加価値の基となる技術)が必要となる。  

1〉1次加工(果肉の除去・乾燥)
 ・熟した果実(コーヒーチェリー)から果肉を取り除く(パーチメント=種皮)。
 ・そして、(多くの場合はミューシレージを除去した後に)乾燥させる。
 ・農家もしくは農家から買い取る会社が担当する。

2〉2次加工(脱穀)
 ・パーチメントからその殻を取り除き、生豆にする(グリーンコーヒー)。
 ・組合もしくは輸出会社が担当する。

3〉焙煎(・粉砕)
 ・生豆を煎る。必要に応じて粉にする。
 ・焙煎会社が担当する。

4〉パッケージ
 ・焙煎豆の鮮度を落とさないように袋詰めする。
 ・焙煎会社が担当する。

5〉粉砕・抽出
 ・粉にしたコーヒーにお湯または水を注ぎ、飲める状態にする。
 ・コーヒーショップや家庭などが担当する。


 コーヒーチェリー    パーチメントコーヒー

コーヒーの実は「チェリー」のように赤い。その実から果肉を剥ぎ取って乾燥させたのが、コーヒーマニアならよく知っているであろう「パーチメントコーヒー」。それを脱穀したのが「生豆」で、「グリーンコーヒー」とも呼ばれる。それを焙煎して粉砕してお湯や水に溶かしたものが、私たち一般人のよく知る「コーヒー」である。焙煎すると豆の酸化・劣化が始まる/(^o^)\ので、パーケージングしなくてはならない。




以上を要約すると、カップ提供されているコーヒーとは、たしかに生豆を原料とするものの、それはもはや生豆とは別の商品なのであって、高度な技術力を要する焙煎や袋詰め(焙煎したら始まる豆の酸化・劣化を防止するための創意工夫)、抽出(おいしいコーヒーの淹れ方)、そして競争市場で収益を上げるために必要なマーケティングにかかる相応の対価を、消費国側も要求する権利があるということだ。実際、アントニー・ワイルドも『コーヒーの真実』において、「コーヒーが消費者社会に完全に参加する一員となることを妨げていたおもな障害は、包装だった。生豆の形で流通させ、現地の食料品において少ない量を焙煎する必要がある限り、コーヒーがビッグビジネスのお気に入りへと発展できるはずがなかった。しかし、コーヒーの焙煎と包装にまつわる技術的な問題は、驚くほど解決がむずかしかった」と、コーヒービジネスにおける消費国側の努力と貢献を認めている。


こうした問題の本質は、ナチュラルアートの鈴木誠さんが日本の農業問題に触れて指摘しているように、「生産者が価格の決定権や交渉力を持っていない」という点にあることも事実だろう(「朝日新聞」2008/7/26付より)。仮にそれに従うならば、単に寡占市場を問題視するだけでなく、一方では、それに対抗するための組合づくり、独自の販売網づくり、生豆の高級化、他方では、生豆ではなく付加価値の高い焙煎豆を国内販売することや、自前のコーヒーショップを持つような経営戦略が求められているということになる。


なお、消費地における「生豆の輸入から、商品製造・商品販売にかかる経費と利益」が大き過ぎることに違和感があるとすれば、それは「消費地のコーヒー産業構造そのもの」の問題であり、すなわち、消費者である私たち自身の問題であろう。


(つづく)




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「分かりやすさ」の陥穽――『おいしいコーヒーの真実』を批判する(3)

『おいしいコーヒーの真実』批判①

映画『おいしいコーヒーの真実』は、コーヒーをめぐる問題を単純化し過ぎている。とりわけ「コーヒーカップ輪切り図」によって端的に示されているように、零細生産者の取り分を極端に少なくなるように見せる欺瞞的とも言える手法が採られている。ただし、悪意があってというよりも、私は不勉強なフェアトレード推進者による過失だと思っているのだが……。

もちろん私とて、(零細な焙煎業者やコーヒーショップではなく)コーヒー大企業が、時と相場によっては膨大な利益を上げていることを否定するつもりはまったくない訳であるが、『おいしいコーヒーの真実』には大きく分けて以下の3つの問題があるように思われる。

 ●単純過ぎる「南北問題」観
 ●コーヒー農家とは「コーヒー生豆の生産者」である
 ●コーヒーの国際相場



(1)単純過ぎる「南北問題」観

1つ目の問題点は、その単純過ぎる「南北問題」観にある。

もっとも、こうした問題はジャン=ピエール・ボリスが『コーヒー、カカオ、コメ、綿花、コショウの暗黒物語』において、「多国籍企業などの外国資本だけが諸悪の根源であるとするような問題の単純化は、あまりにも安易であり、構造の全体像を捉えていないと思われる……諸悪の根源のすべてが多国籍企業・国際金融機関だけにあるわけではない。生産国側の能力不足、背任行為、当事者の怠慢、国や地方レベルでの結束力欠如といったことも、じつは深刻な問題要因なのである」と、既に指摘していることではあるが。


当該映画の文脈に即して具体的に述べれば、不足している学校の建設は、コーヒーの貿易取引から生まれる利益を基にするのではなく、本来的には国の果たすべき役割だろう。また、「WTOの会議で<南>の代表者がその国民の利益を守るために奮闘している」といった構図は、事実関係も含めて大いに疑問がある。アフリカの諸国家が腐敗し、大多数の貧困な農民の利益を擁護していないことはしばしば指摘されているし、加えて<南のエリート>の立ち位置というのは、<南の民衆>よりも<北のエリート>の方に親和性が高いということも、しばしば指摘される事実であるからだ。


他方、ピースウィンズ・ジャパンと連携して東ティモールのコーヒーを販売し、現地の生産者との交流までも行っているゼンショーや、FLO認証の「フェアトレード・ラベル」の付いた商品を扱っているイオンやスターバックスのような大企業のフェアトレードをどう評価するのか、といった厄介な問題もある。これらは「多国籍企業」ということで十把一絡げにしていいのか、あるいは個々に検討する必要があるのか、議論の分かれるところであろう。


(つづく)




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世界システム論の教科書でも by hnhk
><南の民衆>よりも<北のエリート>の方に親和性が高い…

学生時代に勉強した世界システム論の入門書でも、
ばたおさんが指摘されている構図が指摘されていました。
私の子どもの頃は、フィリピンのマルコス元大統領が典型例でした。
ちなみに、わたしの父は、勤務先の社長を「マルコス」と呼んでいました。
Re: 世界システム論の教科書でも by ばたお
hnhkさん

私の一知半解な世界システム論の理解によれば、①世界経済は構造化された商品の連鎖(「中心-半周辺-周辺」という三層構造)であり、②「半周辺」というシステム内関係における可動性のある領域があり、③「中心-周辺」という政治的不安定の再生産によって「半周辺」は政治的行動の主体となり、④結果的に世界経済システムは安定して存在し続ける、というのがエッセンスの1つだったように思います(間違っていたら指摘お願いします\(^o^)/)。

仮にそのように考えると、南北問題(の解決)はますます厄介な問題になりますよね/(^o^)\

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「分かりやすさ」の陥穽――『おいしいコーヒーの真実』を批判する(2)

堀江健太郎さんは、かつての私・ばたおである。

もっとも、かつての私であれば、件の「コーヒーカップ輪切り図」で示された「コーヒー農家の取り分の少なさ」に憤り、そうした主張に共感していたことだろう。

消費国(先進国)では1杯のコーヒーの値段が400円ほどであるにもかかわらず、生産者の売値は1kg(80~100杯分に相当)わずか40円にしかならないという「事実」を宣伝し、もしかすると映画『おいしいコーヒーの真実』の上映会を開催していたかも知れない。「若気の至り」である。



問題は、「<南>の貧しい生産者と<北>の暴利を貪る大企業」という二分法にある。もちろん、「<南>の貧しい生産者と<北>の暴利を貪る大企業」という構図それ自体に間違いはない。しかし、そこで思考を停止させてしまうことが問題なのである。言わずもがな、世の中はもっと複雑であるということだ。

当該連載は『おいしいコーヒーの真実』への批判であると同時に、「過去の自分の恥を晒して反省する」という自戒の作業でもある。




◆渡り廊下走り隊『若気のイタリアン』
 


(つづく)




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「分かりやすさ」の陥穽――『おいしいコーヒーの真実』を批判する(1)

「コーヒーカップ輪切り図」の陥穽

2012年5月初旬、堀江健太郎さんがFacebookで以下のような発言をした(堀江健太郎さんのFacebookより)。


▼映画『おいしいコーヒーの真実』が提示した、コーヒー農家の取り分の少なさを告発する図(以下、「コーヒーカップ輪切り図」と表現する)
        コーヒーカップ輪切り図


この絵、学校教育としてきちんと伝えるべきだと思う。
突き抜けないとこの絵の底に溜まったコーヒーしか飲めないよ、ということを。

コーヒー農家に限らず「一般的」な世界ではプレーヤーが違うだけで、個人に還元される利益はどこも同じような構造だと思うので。

俺はこういう構造に気付くまで多くの時間を要してしまったけれど、気が付いてからは違う目で世界を見ることができるようになったから。
こういうことを知ってるか知らないかだけで人生は大きく変わると思うし、少しでも若いうちにこういうことに気付き、自意識の高い人が生まれたら嬉しいな。


これに対して、やまもといちろうさんが異論を唱えた(「数字をきちんと読めない人がフェアトレードとか言い出すと大変なことになるかもしれない(メモ)」より)。

結論からいうと、「お前が飲んでいるコーヒー代というのは店舗の不動産賃貸代であり内装費用であり運搬費用でありブランドビルディングのための広告宣伝費でありバイトの雑給であり社員の人件費なのであって、常に代替需要に晒されている外食業界というのは構造的にそうなる宿命であり、仕入原価よりも問題とすべきはお前の座っている椅子やテーブルの時間貸しの性質であり、お茶などその店に立ち寄る口実に過ぎずテイクアウトはお前にとって根本的に損」という話で、フェアトレードとか搾取を喰らうコーヒー農家がクズだという話からはメカ次元の彼方にある議論だろうと思います。


やや過激な調子ではあるものの、その主張はもっともだと言えるだろう。

もし貧しいコーヒー農家を救おうとするならば、(様々な方策が考えられるが)実際問題としては、やまもといちろうさんも指摘しているように、「既存の一般的な卸を頼る流通経路」を変えるしかないのかも知れない。

ちなみに堀江健太郎さんは、上記のやまもといちろうさんの指摘を受けて、Facebookに「謝罪と弁明」と題した発言をしている(堀江健太郎さんのFacebookより)。余談だが、こうした他者からの批判を受け入れて反省する態度には見習うべきところがあるだろう。

自分の稚拙な知識をご自身のブログにてフォローくださったやまもといちろう氏にはこの場でもお礼させていただきたく思います。ありがとうございました。

謝罪としては2点あります。

まず私が絵の説明文に「突き抜けないとこの絵の底に溜まったコーヒーしか飲めないよ」と記載してしまったことが絵の解釈に大きなバイアスを与えてしまったこと謝罪します……この表現は絵の本質からは全くかけ離れたものであったのですが、自然と「コーヒー農家が搾取されている」というイメージを与えてしまったと反省しております。

次に、出典をきちんと記載しなかったことを謝罪します。この絵はもともと「おいしいコーヒーの真実」という映画に登場する、コーヒー農家の立場から描かれたものだそうです。この出典さえ明記されていれば、この絵にバイアスがかかっていることも明確になるし、ここまでの議論になっていなかったと思い、深く反省しております。加えてやまもといちろう氏もブログで言及されている通り、この絵には、「各プレーヤーのコスト」というものが度外視されています。カフェであれば人件費や家賃、その他1杯のコーヒーの提供にかかるコストも同じくらいかかっているかもしれません。

続いて弁明ということで、私がこの投稿を以て本当に伝えたかったことを改めてお話したいです。それは「産業の収益構造に注目する」つまり「需要と供給がどのように満たされているかを知る」ということ、そこから「想像する」ということです。

多くの方にコメントいただいた通り、この絵からは各プレーヤーがそれぞれのアウトプットを出すまでにかかる「原価」というものが欠落しています。先にも述べた通りこの絵で多くを「搾取」しているように見えるカフェはコーヒー1杯にも原料のみでなくコーヒーを抽出するための設備や提供するための食器、人件費等がかかっており、他のプレーヤーに比べてその収益の多くが「原価」に消えるため、一概に「コーヒー農家が利益を搾取されている」とは言えません。

しかしここで注目すべきは「カフェと同等のコーヒーを飲むためには、一般的に¥330を支払うしか手段がない」ということです。つまり、これは極論ですが、コーヒーの実からコーヒーを抽出する手段を持つ人からすれば、コーヒー農家から直接コーヒーの実を買えば¥3~9で同じコーヒーを味わうことができます。

「コーヒーを飲みたい」という需要、「コーヒーを売る」という供給にも様々なレベルがあるということです。ある人は「おいしいコーヒーをお洒落で落ち着いた空間で飲みたい」と思うでしょうし、そういう人には「落ち着いた空間でコーヒーを提供する」カフェという提供の方法があります。また「家でコーヒーを挽いて飲みたい」という人もいるでしょう。というように需要は細分化されるはずで、それに適した供給が果たしてどれくらい適切に行われているかということを考えること、またこれをコーヒー以外の産業に当てはめることで、新たなイノベーションのきっかけになれば、というのが私自身が伝えたかったことです。



(つづく)




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プロフィール

ばたお

Author:ばたお
・1983年大阪府生まれ。大阪府河内長野市在住
・半自給農民、工場非常勤。できるだけ稼がず、できるだけ消費しません。シェアハウス運営
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