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新自由主義と正社員(7)

「既得権批判」再考③

ロスジェネの不満がラディカルに噴出すればするほど、そもそもそこで名指されている「既得権者」が、本当に「既得権」なるものを持っているのかという疑問は霞んでいってしまう。

例えば、団塊の世代は終身雇用で守られて、定年まで逃げ切り、果ては年金暮らしをしようとしている、という非難が投げかけられることがある。しかし実際に起きたのは、定年までの終身雇用を見込んでローンを組んだにもかかわらず、1990年代の不況でリストラされるかも知れないと脅えながら、日々のパワハラにも耐えて会社にしがみつくも、退職する頃になって年金記録の不備が明らかとなり、右往左往するという事態だ。

2000年代になって若年雇用の問題が注目されるようになる以前は、リストラや不況で自殺した中高年世代の方が問題だとされていた。山一証券・北海道拓殖銀行が破綻した1997年から日本長期信用銀行・日本債券信用銀行が破綻した1998年にかけて、日本の自殺者数は一気に跳ね上がるが、その中でも一番多かったのは当時の50代で、50%以上の増加を示している。



要するに若年雇用問題とは、全体の“椅子”が少なくなっている状況の中で、もともと椅子に座っていた人間と、そうでなかった人間の差が、世代差という形で現れたに過ぎないのだ。さらに言うならば、そこで既存の雇用が守られたことで、若い世代は正社員になれない代わりに、フリーター暮らしをしつつ親の仕送りに依存して生きることができたという一面の真実も存在する。そうした世代間の「たかりあい」が不可能だった人たちが、真の意味での貧困状態に陥ることになったのであって、それは「既得権」云々とは関係のない話である。



本来なら自分の手元にあるはずの資源、という理解が幻に過ぎないのだとすれば、どのような道があり得るだろうか。ひとつは城繁幸さんのように、もはやそれを持つ資格など誰にもないのだから、諦めてみんなで流動化するべきだという立場があるだろう。私自身も、アンビバレンツな感情から求められるような“古典的な安定”への志向に関して言えば、それは手放されるべきではないかと考える。また同時に、「かつての日本は安定した福祉国家だった」というイメージがそもそも間違っているように思われるし、それに基づく「安定した正社員」というイメージに関しても、もはやそれは維持不可能ではないかと考える。


(つづく)





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新自由主義と正社員(6)

「既得権批判」再考②

正社員――。多くのロスジェネにとって、それは憧れの対象であると同時に憎しみの対象でもある。そうしたアンビバレンツな感情は、一種のラディカリズムを引き起こしてしまう。


既得権に対する要求を、「それを独占している連中のせいで、自分たちは現在こんな目に遭っている。それは本来自分たちが持っているべきものなのだ」という理由で正当化しようとすれば、「そんなことを言っているお前こそ、本来それを持つべきではない」という物言いにうまく反論することができない。なぜなら、それが“本来”どこにあるべきなのかを決定する審級など、どこにもありはしないのだから。よって、こうした言い返しを回避しようとすれば、「うるさい。とにかくそれを俺によこせ」というラディカリズムに帰着するのは必然だろう。


「既得権批判」は、論理的に突き詰めれば破綻せざるを得ない。


(つづく)





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新自由主義と正社員(5)

「既得権批判」再考①

「昭和的価値観」を自明のものとして企業の中に居座る「既得権層」から、その取り分を若者へと移転しろ、というのが城繁幸さんの主張であった。


では、なぜ彼らは、そうまでして日本社会の改革を要求するのだろうか。城さんも指摘しているように、日本の企業や制度に不満があるのならば、外資に就職するなり、海外に行って仕事を探すなりすればいいだけの話である。しかしそこで主張されるのは、団塊の世代なり大企業の経営者なり、ひたすら「既得権」にしがみついて自分たちを搾取する存在に、「それをよこせ」と要求することなのだ。なぜ、時間のかかる制度改革よりも手っ取り早いはずの「日本脱出」は選択されないのか。そこで、「若者たちは独立独歩の気概がない」といった精神論に依拠するのは安直というものだ。



ここで私たちは、「既得権をよこせ」という主張の、真の願望に目を向けなければならない。彼らが求めているのは、実は自分たちを正しく評価してくれる環境を築くということではない。かつての日本に存在していた(と認識されている)既得権的な立場を、自分にもよこせ、と言っているのだ。そして、現実にはそれが困難であるからこそ、「より一層の改革」を次善の策として要求しているわけだ。


独力で生きる環境を切り開くことを推奨する本当の実力者ならば、自らの不遇な状況を既得権層のせいにしたりはせず、それも自己責任で引き受けるだろう。そういう道を選ばず、既得権層を名指した上で「それをよこせ」と言うとき、(私自身も含む)彼らは「かつてあったはずの安定」と「実力が試される不安定」との間で心情的に引き裂かれているのである。




「既得権批判」とは、「俺も正社員にしてくれよ」→「無理ならみんな非正規になってしまえ」という“弱者の理論”なのだ。こうした気持ちは、エリートには理解しがたいかも知れない。「既得権批判」という発想は、確かに「エリート的な原則論」ではないような気がする。よって、そんなのは放って置けばいいという考え方もあるだろう。しかしながら、それが「庶民的な生活実感論」である限り、たとえ“取るに足りないバカバカしい議論”だったとしても、私はそれにコミットせざるを得ないのである。


ちなみに、城さんは東大卒……Orz


(つづく)





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Re:新自由主義と正社員(5) by hnhk
>「既得権批判」とは、「俺も正社員にしてくれよ」→「無理ならみんな非正規になってしまえ」という“弱者の理論”なのだ。

とりあえず、この「既得権批判」は、官僚以外の公務員に、その矛先が向いているんでしょうね。
大企業の正社員を批判しても効果は乏しいですが、ノンキャリア等の公務員への批判なら実効性はありますから、彼らが絶好の“餌食”になるんでしょう。

それは、“公務員バッシング”を行なうマスコミ関係者の驚くほどの高給には、その矛先が向かないことにも、現われていると思います。

個人的には、「俺も正社員にしてくれよ」という心情に寄り添いながら、半農半活動にまで突き抜けていける手伝いができればと思います。

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新自由主義と正社員(4)

「一億総非正規」論

雇用が回復しつつある若い世代の保守化傾向は、ロスジェネたちには複雑な感情を持って受けとめられている。例えば城繁幸さんは、率直な感想を以下のように述べている。


ふってわいたような売り手市場の到来も、望まない副産物を産んでしまっている。学生の意識調査などを見れば、彼らが企業に求めるものに「安定性、終身雇用」といったキーワードが際立って目に付く……一言でいうなら昭和的価値観のゆり戻しが起きているのだ。バブル崩壊による混乱も、ロストジェネレーションの現実も、彼らは過去の思い出として忘れ去ってしまうかもしれない。



こうした危機感には共感するところがある。まず何よりも「ロストジェネレーション」という名付けを、10年以上に渡って生じた雇用環境を中心とした社会変動を「ある世代だけが被った偶然的で不幸な現象」として切り離すという、問題を矮小化させる口実に用いてはならない。またそれ以前に、就業教育の現場における「フリーターやニートは意識の足りなかった負け組」という物言いには、理論的な判断云々というよりも感情的な反感を覚える。


しかしながら、冷静になって考えると、では一体どうすればいいのかという点で答えに窮してしまう。


ところで城さんが主張するのは、「庇護主義的な大企業に依存して、ただその言いなりになって生きるような価値観」である「昭和的価値観」から脱し、「組織やレールに頼らずに、自分の力でなんとかする」という「自助の精神」を持って、自らの人生を切り開いていくことの必要性だ。

興味深いのは、そうした自主独立の精神とともに、「一億総非正規」を唱えて雇用のより一層の流動化を主張する点である。雇用の流動化、労働条件の不利益変更の権利を認めるといった、通常ならば労働者の権利を奪うものとして批判される政策に対して彼は、それが「アメリカ型の競争社会を連想する」ものであることを認めつつ、「競争すらない、封建制度みたいな」現在の日本よりは、そちらの方がよりましな体制だと述べる。


なぜならば、そうした労働者の権利保護とは、結局のところ正社員の権利を守っているに過ぎず、ロスジェネを中心とするフリーター層は、彼らの権利を守るために新卒採用を手控えた結果生まれたものだからだ。こうした観点に従えば、正社員の権利を守る労働組合も、企業も、規制緩和を批判する人たちも、要するに既得権にしがみつく旧体制に他ならないということになる。すなわち労働条件の不利益変更とは、もらい過ぎている人間から、もらい足りていない人間へ報酬を移転するための手段なのである。




もちろん城さんとて、単純な優勝劣敗でよいと考えているわけではない。ただ、雇用の弾力化をはじめとした現状の規制緩和への批判が、既得権を温存するために用いられてしまっている結果、必要な部分での改革を遅らせることになっており、長期的に見てデメリットが多いということだろう。こうした改革を前提にした上で、それに見合ったセーフティネットの構築や、自主的な判断で選択されるワークライフバランスの追求可能性を検討する彼の主張は、必ずしも規制を取り払えばうまくいくという話ではない。具体的には、給付型税額控除(負の所得税)の導入などを主張している(ただし、ベーシック・インカムには反対の立場だ)。



だがそれは、個人に対して独力で生き抜いていくという精神的な強さを要求し、それを持つことができない人間に「自己責任」で結果を引き受けることを要求するものであることも確かだ。内田樹さんは、このような「徹底的な能力主義」とは、弱者一般の救済ではなく、「能力のある弱者」のみを選択的に救済するものだと指摘している。彼によれば、能力主義を採用する限り私たちは、自分の能力が高く評価されて利益を得たという事実を、他人の能力が低く評価されて利益を失ったというゼロサム・モデルに基づいてしか確証できないため、そうした主張は「弱者の入れ替え」をしか意味しないという。内田さんに従うならば、城さんのような要求とは、「平等」というよりも「公平」な取り扱いを志向するものだと見られるべきだろう。


ではこれは、私たちにとって納得のいく処方箋だろうか。難しい問題である。


 ●参考文献
   城繁幸『3年で辞めた若者はどこへ行ったのか』


(つづく)





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新自由主義と正社員(3)

雇用環境の保守化

1992年に「就職氷河期」という言葉が生まれて以来、若者の雇用状況は一貫して厳しかった。

リクルートのワークス研究所によると、大卒の求人倍率が最低だったのは2000年であり、0.99倍。2001年も1.09倍と非常に厳しく、これは、順調にいけば1977~1978年生まれの人が大学を卒業する年に当たる。また、就職率で見た場合、大卒では2000~2005年(すなわち、1977~1982年生まれの人)が50%台後半となっており(文部科学省による)、この時期が一番厳しかったことが分かる。


2007年1月の特集記事で朝日新聞は、1972~1981年生まれの世代を「ロストジェネレーション」と名付け、不況期に社会に出ざるを得なかった2000万人が、就業状況において苦しい立場に立たされていることを明らかにしたが、以上のデータは、就業状況が「後期ロスジェネ」において特に厳しかったことを物語っている。

ちなみに朝日新聞の定義に従えば、ロスジェネの内、先頭の1972年生まれの人は順調にいけば高卒で1991年、大卒で1995年に就職しており、一番後ろの1981年生まれの人は高卒で2000年、大卒で2004年に就職したということになる。2011年現在で言うと、ちょうど30代の人たちが「ロスジェネ」ということになる(この層にはニートも多いと思われるが、政府の公式見解=厚生労働省の定義に従えば、35歳になると自動的に「ニート」はニートではなくなることに注意)。




しかしながら、こうした状況は2006年頃から改善されつつある。その要因としては、団塊の世代の定年退職に伴う求人の増加、不良債権処理の完了、回復基調にある景気の反映といったものが挙げられる。それとともに、新卒で就職する若者たちの意識にも変化が見られるようになっている。


財団法人社会経済生産性本部が行っている新入社員の意識調査の結果によると、「今の会社に一生勤めようと思っている」と回答した新入社員は、1997年の時点では27.3%だったのに対して、2007年には45.9%にまで上昇している。同様に、「若いうちならフリーアルバイターの生活を送るのも悪くない」と考える新入社員は、1997年の47.3%から、2007年には26.4%にまで減少している。なお、「若いうちならフリーアルバイターの生活を送るのも悪くない」が「今の会社に一生勤めようと思っている」を逆転したのが、2005年である。


このような傾向を踏まえるならば、日本社会は「雇用という問題」を再び「終身雇用」へと戻し、会社が社員の生活を保証することによって解決しようとしているように見える。言い換えると、20代の若者たちは「保守化」しているのである。「保身」と言った方がいいかも知れない。それは、「採用試験というハードルを越えさえすれば、後は死ぬまで守ってもらいたい」という願望となって表れているし、もはや大学が「就職予備校」と化していることからも明らかであると思われる。


(つづく)





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Re:雇用環境の保守化 by hnhk
>、「今の会社に一生勤めようと思っている」と回答した新入社員は、1997年の時点では27.3%だったのに対して、2007年には45.9%にまで上昇

雇われる側は、終身雇用を望んでいるのに、雇用する側は、ほんの一握りのエリートを終身雇用するだけで、他の被雇用者の流動化をますます加速させようとする。

今や、終身雇用の代名詞であった一般職の公務員についても、スト権を付与し雇用保険への加入を認めることが政府側で議論されるなど、ますます流動化しています。


被雇用者と雇用者との意識の相違が、社会変革の一つのエネルギーになるのでしょうか?
Re: Re:雇用環境の保守化 by ばたお
難しい問題です。
ただ、「国民みんなを終身雇用しろ」という要求は無茶な気がします。

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新自由主義と正社員(2)

既得権批判の構造

例えば城繁幸さんは、若者が正規の雇用に就くことができないのは、「すでに雇用している人間の既得権を維持するために、若者の雇用を犠牲にした」からだと述べる。ここでは、「正規雇用にある」ということが、必然的に「何もしないで現在の地位を維持できる」ということを含むと見なされている。


安定した雇用からはじき出された人々が、既に雇用を得ている別の人々に対して、その地位は不当に専有された利権であり、解放されるべき「既得権」なのだと批判する――。


「既得権批判」とは、私の現在の不遇な状況は、どこかで不当な利益を抱え込んで手放さない既得権者がいるからで、彼らを取り除けば問題は解決する、というタイプの思考法のことである。その既得権者とは、かつては郵政族などの官僚や特定の業界の大企業のことを指していたが、現在では一般企業に勤める正社員にまで、その対象を拡大させている。

既得権批判の主体となっているのは誰か。それは、いわゆる「ロスジェネ」である。彼らの中からは、多くの問題を抱えた現在の社会をよりよいものにしていくための様々なアイディアや、具体的な社会運動が立ち上がりつつある一方で、そこには自己の不遇に対する漠然としたやりきれなさや不満が形成されつつもある。彼らが「既得権」を批判するのは、まさに自らの境遇が「奴ら」によってもたらされたという認識があるからだ。



しかし、一般企業に勤める正社員というある意味で“普通に暮らす人々”にまで「お前らは既得権者なのだ」と言うのは、既得権の意味をかなり拡張した使い方であるような気もする。

では、なぜ彼らは「安定した正規雇用=既得権」というロジックにこだわるのか。恐らくその背後には、「正社員」という立場に対する私たちの歪んだ強い期待があるのではないだろうか。


 ●参考文献
   城繁幸『若者はなぜ3年で辞めるのか?』


(つづく)





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“運”と“努力”のアンバランス by hnhk
「既得権批判」にこだわりすぎる人は
①正社員≒運>努力→運の良い人
②非正規≒努力>運→努力が報われない人
という思考が強いのでしょうか?

②については、自身が努力家である某知事H氏や自己啓発のカリスマK氏からすると、努力不足と一蹴されそうですが…

私としては、①②ともに、ある程度的は射ていると思います。
ただ、経済手成功に占める“運”的要因の高まりを、ロスジェネ世代は強く感じているかもしれません。

というのも、ロスジェネ世代の幼少期は、まだ一億総中流の幻想も生きていましたし、“努力”で“運”的要因(生れつきの境遇も含めて)を克服できると信じられていたように思えるからです。

ところが、大学を卒業して就職する頃になるとバブルが崩壊して経済状況は悪化、正社員への夢は急速にしぼんでしまった。そして、「話が違うよ」ということになってしまったのでしょう。

かくいう私もロスジェネ世代で、小学生の時に
「ぐうぐうと 会社で寝てる 窓際族」
という川柳をつくり、“国語”の時間に発表した思い出があります。
窓際族がまだまだ健在だったのです(苦笑)
Re: “運”と“努力”のアンバランス by ばたお
ご意見ありがとうございます。参考になります。

> 「既得権批判」にこだわりすぎる人は……という思考が強いのでしょうか?
なるほど。
努力していないと正社員にはなれませんが、努力したからといってなれるわけではないですからね。

> というのも、ロスジェネ世代の幼少期は……「話が違うよ」ということになってしまったのでしょう。
ロスジェネ世代は、「就職する頃にバブル崩壊 → 話が違うよ」ということで、「正社員という既得権をよこせ」ということになるということでしょうか。
私は物心ついた頃から「日本はもうダメだ」と聞かされて大きくなった、ロスジェネより下の世代なので、「夢よりも保身」という態度がよく理解できます。なので、「若者は右傾化・保守化している」と無邪気に言ってくる先行世代のことは端的にムカつきますが。
Re: Re:“運”と“努力”のアンバランス by hnhk
>「若者は右傾化・保守化している」と無邪気に言ってくる先行世代のことは端的にムカつきますが…

それは、私も同感です!

今も献身的に活動をなさっている方から聞いたのですが、「(60年代後半は)学生運動やってて、パクられても、3回(逮捕歴)までならA新聞なら就職できた」とおっしゃていました。
その頃は、高度経済成長期かつ学士も今より希少という状況があったので、“学生運動”等の“冒険”は、今よりも容易くできたと思います。
そして、この世代は一定の年金を得て逃げ切りを図りつつあります。
このような世代から、「保守化」云々言われると腹が立ちます。

ですが、先行世代のことも少しは知ろうと思い、『もう一つの団塊世代論』(http://www.shimadzu-ryubun.com/book3.htm)を読んでみました。少し、先行世代への思いが、相対化されました。(ご参考まで)

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新自由主義と正社員(1)

はじめに

団塊の世代を中心とした既存の正社員を守るために、若者の雇用を中心とした規制緩和が進んだ結果、若い世代の労働力の一部が「使い捨て」扱いされるようになった――。


このような事実に対してよく言われるのは、その前段の「あいつらを守るために若者の雇用を流動化した」という点が強調されれば、「お前らこそ流動化しろ」ということになるし、後段の「規制緩和が使い捨てられる労働者を増やした」という点が強調されれば、「規制緩和こそが批判されるべきだ。俺たちも正社員にしろ」ということになる。



現在のロスジェネをはじめとするワーキングプアやプレカリアートによる悲痛な叫びには、「もっと規制緩和しろ」と「規制緩和はいけない」という相反する主張が混在している。ステレオタイプで言えば、前者はエコノミストの主張、後者は左翼の主張ということにもなる。よってこの状況は、そのまま日本社会の抱えるねじれの縮図だとも言える。


以上のようなねじれを解消する方策は、端的に、必要なところに規制を含めたセーフティネットを構築し、不必要な規制を緩和すればいいというだけの話である。規制緩和と規制緩和批判のどちらかしかないというのは、理論的にはあり得ない。しかし実際問題、事態はそう単純ではなく、両者の主張は真っ向から対立している。それは、構想される社会の在り方も、求められる人間像も大きく異なってくるからだ。



この「新自由主義と正社員」では、

 ①「労働問題――雇用問題における新自由主義的政策を新自由主義的に批判するということ」の意義や問題点

 ②「規制緩和さえ批判すればよいのか。それでうまく行くのか」ということについての検討

 ③「私自身の労働問題に対する意識」を明らかにすること

という3つのテーマを中心に、書きながら考え、考えながら書いていく予定である。


なので、同じような論点を繰り返したり、あるいは主張が二転三転したりするかも知れないが、そうなってもご愛敬ということで許してもらいたい。


(つづく)





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今後の展開に期待します! by hnhk
ばたおさんの「高校生日記」に続く連載第二弾、期待しています。
といっても、プレッシャーになってはいけませんから、ぼちぼち頑張ってください。
この新連載に
 →建設的なコメントが多数寄せられる
 →ブラッシュアップにより理論進化
 →新書とかで出版
 となれば理想的ですね。

Re: 今後の展開に期待します! by ばたお
ありがとうございます。
見切り発車なので、結論が出ないかも知れないですが(爆)
時間があるときに頑張って書いていきたいと思います。
意見・批評等もいただけるとありがたいです。

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プロフィール

ばたお

Author:ばたお
・1983年大阪府生まれ。大阪府河内長野市在住
・半自給農民、工場非常勤。できるだけ稼がず、できるだけ消費しません。シェアハウス運営
・土と暮らし研究会

【ツイッター】@BATAO_Hetare
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